今日、日本のはるか北方で大きな地震が発生しました。その津波注意報や警報がでていました。実は近年津波注意報は空振りが多く、被害が少ないです。そのため避難しない人が多いそうです。津波のメカニズムは複雑で被害が読めません。そのため少しでも危険性があると気象庁は警報や注意報を出すわけです。しかし人間はなれてしまいます。一回目は避難しても二回、三回と続くと「またか」と思うわけです。生活があるから仕方がないのかもしれません。しかしこれが非常に危険なことだというのは言うまでもありません。
 のどもと過ぎれば暑さを忘れる、といいます。地震もそうです。新潟県中越地震から数年。地震に対する興味は確実に薄れています。耐震偽装もそうです。昨年の子供の自殺も、今年のバラバラ殺人が強烈で印象が薄れつつあります。次々にショッキングなことが起こるので、仕方がないのかもしれません。私は耐震偽装について会社HPで「今だから語る耐震偽装事件」という連載をしています。当時受けた印象や考えたことはいずれ薄れます。だから執筆した内容の一部をHPに書き残そうと思いました(最新は1月15日更新)。果たして数年後、これを見てどう感じるでしょうか?最近、自分のなまあず通信のバックナンバーを読み返しました。私もこの数年で変わってしまったようです。でも文章として残っていると振り返ることができます。日記を書かない私にとって、HPやブログ、メルマがが日記代わりです。またメルマがを復活させようと思ったのも、振り返れるものが欲しかったということもあります。
 脱線してしまいましたが、いつかは被害が出る津波はきます。幸い私は津波が絶対到達しないところに住んでいますが、他の災害は十分に考えられます。どうか注意報や警報の意味をもう一度理解して対処してほしいものです。

投稿者 しろなまず

建築設計やっています。スマホやソフトウェアが好きです。