構造計算の思い出

 構造計算書偽装事件で有名になった構造計算。その成果物である構造計算書を作るのは、別に手書きでも構わないことになっています。私もたまに古い計算書を見ることがあるのですが、すべて手書きで妙な感動を覚えます。当時本当に役所が検査していたとは思えない代物です。私の父の世代はちょうどコンピュータで構造計算を始めた世代で、私も子供のころ一行しか表示できない(しかもカタカナまで)コンピュータで父がわけのわからない計算書を出力していたのを覚えています。画面で読み取れたのはカタカナの「ラーメン」という言葉で、なんで建築でラーメンなのか質問した覚えがあります。そのコンピュータの値段は数百万!したというのだから驚きです。ちなみに現役を退いたそのコンピュータで私はBASIC(プログラム言語)を勉強しました。小学生のころです。その頃からこの仕事(構造)につく運命的なものがあったのでしょうか?その後、父は次々とパソコンを買い替えました。私には何が仕事に反映しているのかは疑問でしたが、パソコンがグラフィックを扱えるようになったり、ゲームができるようになったり、カラーが扱えるようになったり・・・と進化している状況が理解でき将来パソコンを扱えるようになりたいと思っていました。一方父の仕事には興味を覚えることができず、やがて進路は文系に、ある夢を追い求めて邁進し始めました。
 そんななかでも事務所を手伝うことが多く、仕事内容も横目で見ていました。私が大学生のころにはパソコンもウィンドウズになり、構造計算ソフトもCADも移行期でした。相変わらずわけのわからない大量の計算書の出力にうんざりしていました。当時は事務所のパソコンの整備やパソコンの自作を担当していたので動作チェックに頭を悩ましていました。今と違って自作のほうが性能を稼ぎやすく様々なパーツを実験したものです。
 そんな時代を見てきたからこそ、現在の構造技術者の恵まれている面と恵まれていない面が見えてしまいます。だから構造技術者を不幸とも思いませんし現在おかれている環境もピンチよりもチャンスが多いと思っています。今回の事件で図らずも注目を浴びた建築技術者。業界そのものが疑われているつらい状況かもしれませんが、頑張って欲しいものです。

作成者: しろなまず

建築設計やっています。スマホやソフトウェアが好きです。